竹内文書の伝承者武内宿禰について解説

正統竹内文書

さあ、今回は300年以上昔に遡り、古代日本を支えた伝説の人物、武内宿禰とその正体についてお話ししていきたいと思います。は、日本神話にも登場する伝説のスーパーおじいちゃんで、戦前のお札にもなっていたほどの人物です。彼は古代に天皇や皇后に仕え、360歳くらいまで国家に忠誠を尽くしたと言われています。

武内宿禰は非常に長生きしたため、そのエピソードもたくさんありますが、今回は彼が一体どのような人物だったのか、そして300歳以上生きたとされる彼の正体についてお話ししようと思います。

景行天皇から仁徳天皇時代

古事記によると、武内宿禰は第8代孝元天皇の孫で、第12代景行天皇から第16代仁徳天皇の5代にわたって天皇に仕え続けた伝説の人物です。彼が仕えた5代の天皇は、当時の天皇たちが長寿だったにもかかわらず、彼に引き続き仕えることを望んだのです。

最初に仕えた景行天皇には、ヤマトタケルという息子がおり、彼はある時「お兄さんが顔がイマイチだから注意して」と言われた際に、相手を殺したほどの恐ろしい人物でした。それを知った景行天皇は、ヤマトタケルを数々の危険な地域に派遣し、その地域の情報を調べさせましたが、その役目を果たしたのが武内宿禰でした。

彼は老体に鞭を打ち、日本中を歩き回りながら、危険地域の情報を景行天皇に伝える役割を果たしました。また、彼は天皇への忠誠心が非常に強く、宴会で皆が酔いつぶれる中、彼は一切酒を飲まず、何かあった時のために備えるという勤勉さを見せていました。

後の第13代景行天皇は、武内宿禰のその姿に感銘を受け、彼に大臣という役職を与えました。そう、日本初の大臣は武内宿禰だったのです。彼の功績が今も語り継がれるのは、まさに伝説の人物であったからこそだと言えるでしょう。

神功皇后の三韓征伐

14代仲哀天皇の時代には、国の流れを決める超重要な儀式にも参加されていました。仲哀天皇の妻は神宮皇后で、この儀式ではまず彼女に神様を降臨させます。それが終わると、天皇が音楽を奏でて雰囲気を盛り上げます。神宮皇后は神様の言葉を伝え、それを聞くのが武内宿禰です。天皇、皇后、武内宿禰といった顔ぶれで共同作業を行っていたのです。

この儀式の中で、神様が乗り移った神宮皇后は忠愛天皇に命令を下します。「朝鮮半島のしらぎを授けよ。我が力を貸すから、戦いに向かえ」と。しかし、仲哀天皇が目指していたのは朝鮮半島ではなく九州でした。神様から全く違う方向へ攻めるよう言われたため、天皇は神の言葉に疑いを持ちます。その結果、神の怒りを買い、仲哀天皇は亡くなってしまいます。

天皇の死により国中がパニックに陥り、神の怒りを鎮めるための儀式が行われることになりました。翌年、再び神のお告げを聞くことになり、神功皇后がまた神様を降ろします。前回は仲哀天皇、今回は武内宿禰が神のお告げを聞くことになりました。

そして、朝鮮半島を攻めるよう言っていた神様が誰なのか尋ねたところ、「天照大神、事代主神、住吉三神」といった大物神様が言っていると分かり、無視できなくなります。仲哀天皇が亡くなったため、神宮皇后が自ら戦いに行く決意をします。妊娠していたにも関わらず、彼女は朝鮮半島に乗り込み、勝利を収めました。これにより、渡来人が日本にやってきたのです。

渡来人はルールもモラルも法律も違うため、統治が大変でした。そんな彼らをまとめあげたのが竹の内のスクネで、彼の尽力により新しい国が築かれました。この物語は、三韓征伐と呼ばれ、神宮皇后の活躍と武内宿禰の救いにより、日本がさらなる発展を遂げたことを示しているのです。

弟の甘美内宿禰の裏切り

この話は、200歳を超えた元気な武内宿禰が登場します。その彼が突然、自分の弟であ甘美内宿禰のスクネに出会うことになります。この時代は第15代応神天皇の時代でした。甘美内宿禰は、兄であるタケノチのスクネが悪事を働いていると嘘をつき、彼を失脚させようとします。その話を天皇が真実だと思い込み、武内宿禰に対する処罰を決めることになります。

しかし、武内宿禰は無罪を主張し、無実の罪を着せられることになります。そんな中、彼にそっくりなマネコという人物が殺される事件が起きます。武内宿禰は、甘美内宿禰を許さないと決意します。

そんな中、どちらが正しいかを決めるために、昔の日本で行われていた占いのような儀式が行われます。その儀式はクカタチという名前で、熱湯に手を入れることで正しい方は火傷しないというものでした。結果、甘美内宿禰が火傷を負い、武内宿禰が正しかったことが証明されます。

武内宿禰は、弟を許すことになりますが、その器の大きさには感動します。

武内宿禰の最後

そんな武内宿禰は、第16代忍徳天皇の時代まで仕えることになります。仁徳天皇は国民のために尽力し、税を無くし、3年間は働かなくて良いと言ったことで知られています。

武内宿禰の活躍は、古事記や日本書紀には記録されていませんが、稲葉の国風土記という書物によると、360歳くらいの時に山に入り、そのまま姿を消したとされています。彼は天皇の家臣として、200年以上も働き続けたのです。

その姿は、サザエさんのように、どの時代にも変わらず最初からずっとおじいちゃんだったと言われています。そして、忠誠心が高く、仕事も長く続けた彼は、まさにスーパーおじいちゃんだと言えるでしょう。武内宿禰が、本当に存在したのかどうかは分かりませんが、その活躍は語り継がれています。

武内宿禰の子孫

武内宿禰の子孫はたくさんいると言われています。ヘクリウチやカツラギウチといった有名な蘇我氏の先祖が武内宿禰だと言われています。ですから、一般的にはモデルとなった人物がいたのではないかと言われています。

しかし、300歳以上生きたという話は信用しにくいですよね。そんなわけで、伝説上の人物として考えられています。

もし武内宿禰が実在していたとしたら、どうでしょうか。第15代応神天皇の時に、弟の甘美内宿禰がいろいろなことを言われて殺されそうになりましたが、その時に殺された人は、武内宿禰によく似たマレコさんでした。たまたま似た人物がいて、間違えて殺されたという話ですが、実は名前がマネコということから、彼は武内宿禰を真似ている人物である可能性があります。

つまり、武内宿禰の周りには、意図的に彼を真似る人物が存在していたのです。このマネコさんが影武者だったのかは分かりませんが、古事記や日本書紀にも記されていることです。

もし武内宿禰に似た人物が時代を超えて存在し、何らかのタイミングで入れ替わっていたとしたら、どうでしょうか。そうなると、彼は何千年でも存在し続けることが可能です。

さらに、入れ替わり続ける武内宿禰が歴史や記憶を共有し、人格さえも受け継いでいたとしたら、まるで漫画のような話ですが、何百年何千年と存在し続けることができます。

そして、この武内宿禰が今もなお受け継がれ続けているとしたら、どうでしょうか。もちろん、これはあくまで仮説ですが、考えるだけでも興味深いですね。

現在まで受け継がれる武内宿禰

あなたは信じますか?と問いかけられると、なるほどね、何ということでしょう。現代の日本に、竹内のすくねという役職があり、受け継がれ続けてきたものだと主張する第73世武内宿禰を名乗る驚くべき人物が現れました。その人物こそ、第73世武内宿禰、別名竹内睦泰さんです。

竹内睦泰さんは突然世に現れ、武内宿禰という存在は世襲制で、家族や兄弟間で受け継がれ続けてきた称号だと語っています。では、武内宿禰はどのようにして決められるのでしょうか。それは、竹内一族の中から一人が選ばれ、歴代の武内宿禰の記憶や秘密を全て伝えることによって行われます。神道や歴史だけでなく、個人の恋愛や人間関係まで、句伝で全て伝え、全て覚えさせるのです。そして、そうして武内宿禰という存在が受け継がれてきたのです。

歴代の武内宿禰の肉体は、記録媒体であり、時間を超越し、永遠に生き続ける存在だと言われています。彼ら武内宿禰

は、大火で焼失した蘇我氏の屋敷の歴史書『帝王筆記』を句伝で受け継ぎ、南朝天皇家の子孫の句伝も同時に受け継いでいると主張しています。そして、この2つの句伝が結合したものこそが、正統であると述べています。

第73代武内宿禰が語る正統竹内文書

竹内睦泰さんが主張されていることについて、説明いたします。竹内家の「スクネ」という言葉は、実は仁徳天皇の時代から存在していたのですが、なぜか現代になって突然、73代目の武内宿禰が現れ、驚くべきことを語り始めました。これがどうしてか、考えてみると、以前お話しした茨城系竹内文書の存在が深く関わっているのです。

戦前に竹内巨麿によって公開された茨城系竹内文書は、その壮大なスケールで1万人以上の信奉者を集めました。しかし、竹内巨麿は不敬罪や詐欺罪で逮捕され、竹内文書も根拠がないとして否定されてしまいました。これにより竹内系全体の名に傷がついてしまったため、竹内睦泰さんは非常に怒っていました。

彼らは竹内系の正式な会には参加できないような家柄だと言われていましたが、竹内睦泰さんは情報漏洩を止めるために、正当竹内文書の一部を公開するという決断をしました。しかし、竹内一族には長老や参議と呼ばれる役職の人たちが複数存在しており、彼らが決定権を持っていました。長老や参議たちは、正当竹内文書は公開しないようにという結論を出しました。

しかし、竹内睦泰さんはそれを無視して、世界に向けて情報を伝え始めました。もちろん、許されない部分は話さなかったものの、怒られることを覚悟で伝え続けていました。残念ながら、彼は2020年1月に53歳で亡くなってしまいました。しかし彼が公開した正統竹内文書は、これまでの歴史を覆すような衝撃的な内容でした。

次回から正統竹内文書について解説していきます。

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