竹内文書が語る「五色人」と日本の関係

竹内文書

古史古伝 以前、当当ブログにて古史古伝をご紹介しました。 古史古伝は古事記などよりも遥か昔、日本の超古代文明について記された書物のことです。 そんな古史古伝の書物の一つ、竹内文書。

これは武内宿禰の孫である平郡真鳥が、神代文字と呼ばれる古代文字で記された文章を漢字やカタカナで翻訳した写本群、石碑、鉄拳などの総称です。 その竹内文書について、次のような内容の記述が存在します。 かつて世界は五色人が占めていた。

それは、黄人、赤人、青人、白人、黒人である。 確かに今でも白人や黒人、黄色人といった人種はいます。 しかし赤人や青人なんかは聞いたことも、見たこともありません。

これは一体どういうことなのでしょうか。 今回はそんな五色人について、一つ一つ紐解いていきましょう。

竹内文書が語るかつて世界に存在した伝説の五色人

五色人 五色人とは、竹内文書に記載されている五つの色を持った人類の総称です。

その種類は、赤、黄、青、白、黒。 太古の時代、世界はこの五つの色を持った人類が存在していたと記されています。 そしてこの五色人は日本で創造され、世界各地に広がり、現在のような人類の分布が出来上がったというのが竹内文書の持論です。

別の文献によれば、この五色人よりも上位の存在として黄金人がいたとも言われます。 そして日本人はこの黄金人の末裔の人種である、といった話もあるそうです。 しかし考えてみれば、今の私たちには五色人なんて馴染みのない存在です。

どうしてこの存在を、現代で私たちは知らないようになってしまったのでしょうか。 その理由となる事件について、竹内文書では次のように記されています。 かつて地球は大昔、五色人が存在していた時代に世界規模で大災害が発生しました。 それは、地球の全体が海に覆われてしまうという災害です。 一部の生き物は空を飛ぶ船で生き残ったのですが、ほとんどが絶滅。

五色人もまたその数を大いに減らしましたが、わずかな生き残りが繁栄し、今に繋がっているというもの。 これは聖書のノアの箱舟に近いお話ですね。 この話を元に考えるとすれば、赤と青はほとんど生き残らずに、今のような人種に落ち着いていったのではないか、と考えることもできます。 五色人で分けられる五つの色のうち、黄、白、黒の人種は私たちにも馴染みの深いものでしょう。

いわゆる黄色人、白人、黒人と呼ばれる人々のことです。 しかし、赤人、青人は聞いたことがありません。 では果たして、この赤と青は一体誰を指しているのでしょうか。 五色人については諸説あり、一説によると、 黄人は日本、中国、朝鮮、モンゴルなどアジア系のモンゴロイド、 白人はヨーロッパ全般の高カソイド、 黒人はアフリカ、インド、メラネシアやオーストラリア、アボリジニの人々、 赤人はアメリカインディアン、ユダヤ、アラビア、エジプトの人々、 青人は肌が白すぎて血管が青く見えるということから 北欧ヤスラ部の人々を指すとされています。

他にも、青人がオーストラリア人であるとする説もあります。 赤人と青人については、 日本の赤鬼、青鬼の昔話や、 生ハゲにルーツがあるという見解もあるようです。 これらは日本の山に住む原住民がモデルになったとも言われており、 それが赤人と青人だったのではないか、と考えられるのです。 また、12世紀のイギリスで緑色の肌をした子供が発見されたという記録もあります。 この事件をウールピットの灰事件と呼び、 子供は自分の住んでいた国に対応はなかったとも言っており、 これは別な人種が存在するという証拠になるのかもしれませんね。

幣立神宮で行われる五色神祭

日本で最も古いと言われる神社は、現在の熊本県大和町に存在しています。 それが兵立神宮です。 日本で唯一、大人血狼という世界の創造神が祀られている神社になります。 現在ではパワースポットとして有名な場所みたいです。 そんな兵立神宮には五色神面というものが奉納されています。

それは五色神の祖となる神々の顔が彫られたお面です。 幣立神宮ではこの五色神たちが集い、平和を願うという祭祀が昔から行われていたとか、 それが五色神祭であり、 五年に一度、世界からそれぞれ肌の色が異なる人々が参加している、世界でも稀な祭りになります。

ただ、この祭りは高間ヶ原の乱の頃に中止されており、1995年から再び行われるようになったとされます。 さて、この高間ヶ原の乱の時代というのは、 この兵立神宮によれば、第十五代天皇である黄尽天皇の時代とされます。 ただ、黄尽天皇の時代に高間ヶ原の乱といった乱が起きたという記録はなく、 兵立神宮に参拝したという話も特にありません。

この乱の話というのはあくまで遮伝に過ぎないのですが、 国内で内乱が起きたために応神天皇が一時身を隠したというものです。 確かに、応神天皇は即位に際して後継者争いが起きたと言われます。 ただ、当時の大和政権の勢力権は機内であり、九州で戦いが起きたという話もありません。

また一説によれば、この神宮に記されてある応神天皇は、 初代の神武天皇と同じであるともされており、 詳細な話はわかっていないのが現状なのです。 五色で有名なシンボルといえばオリンピックのマークですよね。 丸の五色と旗の生地である白色で、 ほぼ全ての国の国旗を描くことができるというのも、 五輪が選ばれた理由でもあるそうです。

この五色はそれぞれヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアの五大陸を表し、 世界平和の象徴とされています。 五輪と五色人は共に平和を理念として通じるものがあります。 また、日本の祝い事の祭祀でも、よく五色は用いられています。

背景の白色も入れて、 五色人の色と共通しているという主張はやや苦しいようにも思えますが、 何か接点があるかもしれないと考えることもできますよね。 いかがでしたか? これらの五色人についてですが、正直なところ全てが真実だとは言いにくいのが現状です。

そもそもの記述元である竹内文助自体が、 学術的に信憑性が薄く、 後世に創作された偽書である可能性が高いと言われているからです。 ただ、古史古伝の多くは信憑性が薄いものの、 全てが嘘であると断言まではできないのもまた事実です。

人類というのもホモサピエンス以外に、かつては多くの種類が存在していました。 それを考えてみれば、 太古には肌の色が違う人種が存在していたのかもしれません。 赤鬼、青鬼のような風貌の人類がいたとすれば驚きですね。 続説ですが、王家や貴族の人間の血は青いと言われていました。 これは青人の血を受け継いでいたのかも、なんて想像することもできます。 気になった方はぜひ、そのルーツを調べてみるのも面白そうですね。 もしかすると、隠れた人類の歴史を覗き見ることができるのかもしれません。

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