竹内文書と正統竹内文書の違いについて解説

本日は、竹内文書についてお話させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。竹内文書と言えば、1928年の3月29日に竹内巨麿が公開したSF古文書が有名ですが、実は竹内家には、竹内巨麿とは別の血統が存在します。後醍醐天皇の直系として、代々「武内宿禰」という名を世襲する家系があるのです。竹内巨麿が養子であったのに対して、こちらの家系は実子によって受け継がれています。

【祭祀拠点】天津教の拠点【皇祖皇大神宮】正統竹内家の拠点【二上山】

2020年に73世竹内睦泰氏が亡くなられましたが、2021年時点で74世の発表はまだされていません。この天皇直系の竹内家は「正統竹内家」と呼びます。祭司の活動拠点については、竹内巨麿の家系は越中の姉郡神名村(現在の富山県富山市)の皇祖皇太神宮から茨城県に移り、1910年に天津教という宗教団体を設立しました。一方、正統竹内家の拠点は越中射水郡二上山(現在の富山県高岡市)など全国の二上山にあり、そこに祭司が住んでいます。

竹内文書と正統竹内文書の特徴の違い

正統竹内文書の大きな特徴は、句伝を通じて代々伝承されていることです。秘術や神法も存在しますが、門外不出の秘術口伝は文章化することが禁じられており、句伝で伝承されることが重視されています。この秘術口伝は、12の文家によって細かく伝承されており、武内宿禰の霊を受け継ぎ、引継の儀式を受けた人だけがすべて聞くことができます。

正統竹内文書口伝は、73代武内宿禰によって一部が公開されています。73代武内宿禰は、竹内巨麿の竹内文書と正統竹内文書には共通点があるものの、本質的には別物だと述べています。竹内巨麿の竹内家は、正統竹内家の墓守を代々務めていたため、正統竹内家の秘密も知っており、それが伝播した可能性があるとも言及されています。

竹内巨麿の竹内文書の特徴は、日本を世界一の国だと主張し、日本人が超古代から世界中で活躍していたという誇張した主張が豊富であることです。最初の裁判で提出されたオリジナ竹内文書と、竹内巨麿が最後に出版した本を比較すると、大幅な加筆が見られます。尾生民原の部分も完全な過失と言えます。

加筆とは逆に、長髄彦(ナガスネヒコ)という人物が消去された可能性があります。神武天皇が登場する場面で長髄彦が出てこないのは不自然です。さまざまな古伝や古文献でも、神武に関する箇所で長髄彦が登場するため、故意に書かなかったと考えられます。正統竹内文書では、長髄彦は頻繁に登場し、中国から来た徐福の子孫だと述べられています。長髄彦と竹内巨麿の竹内家との関係は一体どのようなものなのでしょうか。

考古学者の佐治義彦氏・鹿島昇氏によれば、長住彦は天皇家の敵である白城を象徴していたため、巨丸は白城各氏、すなわち天皇制を支える役目を果たしていたと述べています。一方で、神武が長髄彦に勝利しているため、逆に権力の象徴として書きたくなるとも指摘されています。竹内巨麿と長髄彦の背後には何か隠された事実があるのかもしれません。

竹内文書は偽書か

竹内巨麿さんは、詐欺罪や不正行為、文章偽造などの容疑で何度も逮捕されています。しかし、裁判の最終判決では、証拠が不十分だったり、裁判所の権限を超えた宗教問題だったため、無罪になっています。ただし、偽書であると断定されたわけではありません。

1910年に公開されて以降、竹内文書の出版が繰り返される度に過失が増えているため、検証が必要だと考えられます。しかし、オリジナルの竹内文書は戦時中にほとんどが失われたため、原文と作成文との区別が難しい状況にあります。

正統竹内文書では、一つの出来事に対して複数の口伝が残るものも多く、これらも同様に改ざんが行われていた可能性が高いです。ただし、口伝であるため原文を残すことができず、仮伝に止まっているのかもしれません。両者の竹内文書の原本となる古文献が存在したことは間違いないと言われています。

竹内文書と正統竹内文書の共通点

これまで二つの竹内文書の相違点をお話ししてきましたが、共通している部分もあります。それらは、超古代に天皇家の先祖が世界を支配していたこと、神々が宇宙から来たこと、日本のスメル族が西へ進んでシュメル人になったこと、古代に越中を中心とする王朝が存在したこと、キリストや孔子、釈迦が来日したこと、神代文字の存在などです。

【口伝継承の経緯】天皇家と古神道・原日本人の歴史と秘術

最後に、正統竹内文書の竹内睦泰氏は、古伝の継承が始まった経緯について述べています。武内宿禰という侵略者が現日本人から歴史や秘術を奪ったと考えられ、それが神代文字で書かれていたと思われます。もともと天皇と古神道には関係がなかったが、現在それらが関連づけられているのは、歴史と秘術を奪ったことが関係しているとされています。正統竹内文書は、そうした歴史や秘術を古伝で継承してきたと言われています。

歴史書には改ざんがつきものです。どの部分が嘘で、どの部分が原本かといった詳細な研究はもちろん必要ですが、多くの古文書を読むことで傾向がつかめたり、著者の背景を知ることでどのように書き換えられたのかを理解するマクロな視点も大切です。

古神道と天皇家は始まりや成り立ちが異なりますが、古代日本史からもそれらを読み解くことができるでしょう。

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