正統竹内文書を古事記と徹底比較して内容をわかりやすく解説(前編)

正統竹内文書と古事記を比較していきたいと思います。それでは、正統竹内文書と古事記、どちらが真の日本の歴史か徹底比較していきましょう。

まずはじめに、古事記と正統竹内文書のことをよく知らない方のために、少しだけ説明させていただきます。古事記は、奈良時代に編纂された、日本の神話や古代の歴史を伝える書物です。前半部分は神話、後半部分は歴史書という構成になっています。古事記は、稗田阿礼という方が講述したものを書き起こされたとされています。稗田阿礼さんは、非常に優れた記憶力を持っていて、それまで口伝で伝わっていた情報を覚えていたことから、その話を書き起こすことができたのです。古事記は、日本最古の書物とされていますが、次に作られた日本書記も重要な歴史書とされています。

次に正統竹内文書についてお話ししましょう。正統竹内文書は、帝王日嗣と呼ばれる口伝を基に作られたもので、仁徳天皇を含め5代の天皇に仕えてきた。武内宿禰の子孫が密かに伝えてきたもので、情報は長い間隠されてきました。

竹内睦泰さんという73代目の武内宿禰が一部の情報を公開したことで、だんだんと知られるようになりました。竹内睦泰さんは、帝王日嗣が古事記や日本書紀の原典になっていると主張しています。確かに、古事記の序文には稗田阿礼が帝王日嗣を暗記していたと書かれていましたね。

立ち位置としては、古事記や日本書紀は記紀が日本の歴史を記したものと言われていますが、これらは時の権力者たちによって都合良く改ざんされたものだとされています。一方で、正統竹内文書は、日本の真の歴史を伝えるものだとも主張されているのです。つまり、隠された真の歴史が正統竹内文書に記されているというわけですね。

「古事記」と「正統竹内文書」の創世期

それでは、本題に入りましょう。興味深い話題である古事記と正統竹内文書の創世記をお伝えします。古事記や正統竹内文書は、世界創世の物語が描かれているのです。まず、古事記の創世記について説明しますね。古事記では、混沌とした状態から最初に神の世界である高天原が創られています。しかし、どのように世界が生まれたかについての説明は、古事記にはありません。そこでは、最初に現れた神は天之御中主神(アメノミナカヌシ)の神でした。その後、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)と神産巣日神(カミムスヒノカミ)も生まれ、これらの神々が造化の三神と呼ばれています。さらに、地上の世界はまだできておらず、水面に浮いた油のような状態でした。

その後、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)と天之常立神(アメノトコタチノカミ)が生まれます。ここまでの五柱の神は、宇宙の根源的な力を持つ神様として、別天津神(コトアマツカミ)と呼ばれているのです。次に国之常立神(クニノトコタチノカミ)と豊雲野神(トヨクモノノカミ)の神が生まれます。ここまでの神々は、性別はなく、この後もほとんど登場しません。その次に、男女の対の神様たちが生まれるのですが、その最後に生まれたのがイザナギとイザナミでした。たくさんの神様が登場しますが、イザナギとイザナミのみを覚えておけば十分です。

続いて、正統竹内文書について見ていきましょう。正統竹内文書で最初に登場するのは、無の神とも言われる皇祖元主元無極主大御神(ミオヤモトスモトフミクライヌシ)で、古事記には登場しない神様です。この時点では時間の概念もなく、永遠とも思える長い年月が経った後、意識の神、音の神、湿度の神、重力の神、光の神、そして時間の神が次々に生まれてきました。宇宙創造の物語も描かれていますが、詳細は明かされていません。

その後、古事記と同じ造化の三神が生まれてきますが、正統竹内文書ではそれぞれの神の役割が示されています。アメノミナカヌシノカミは宇宙そのもの、タカミムスビとカミムスビは宇宙の中身を創ったとされています。この神々の働きがビッグバンに相当すると説明されています。

さらに、宇宙には多くの意識体や星々が生まれ、それは天八十万魂神(アマノヤソヨロズミタマノカミ)と呼ばれる神々です。この話は古事記には登場しないものの、先代旧事本紀という神道の文献には記されています。

おおよそ45億年前には地球が生まれ、大地の母神である国之常立神(クニノトコタチ)の神と大気の神である豊雲野神(トヨクモノノカミ)が登場します。その後、地球には地上ができますが、当初は一つの大陸しかありませんでした。これは大陸移動説のパンゲア大陸に相当します。

その後、古事記と同じ男女ペアの神々が生まれ、最後にイザナギとイザナミが誕生します。イザナギとイザナミより先に生まれた於母陀琉神(オモダルノカミ)には、「流」という文字が含まれており、一つの大陸が分裂していったことを暗示しているとされています。

以上が天地開闢、世界が生まれた流れです。古事記とは細かい違いがあるものの、大きな流れは同じです。正統竹内文書には現代科学の要素が見え隠れしています。

「国生み」と「神産み」

それでは、次に国生みと神生みのお話に進みましょう。国生みと神生みは、日本が生まれるシーンです。古事記によれば、イザナギとイザナミが高天原の神々に命じられ、日本を作ります。最初は天沼矛というホコでドロドロの状態の地上をかき混ぜます。その矛から滴り落ちたものが積もって、淤能碁呂島(おのごろしま)ができます。イザナギとイザナミはその島に降りて結婚し、子供を産み、つまり日本の国土を作っていきます。最初に淡路島、次に四国、讃岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、本州が誕生します。そして神生み続きます。

ここでも2人はたくさんの神を産みますが、ここで生まれるのは風の神や木の神、野の神といった自然にまつわる神様たちです。そして、最後に火の神である火之迦具土神(ヒノカグツチのカミ)を産んだところで、イザナミは病気になり亡くなってしまいます。火を肉体から産むのはやはりきついことでしたね。

奥さんを失ったイザナギは悲しみに暮れ、イザナミを取り戻すために黄泉の国に行きます。イザナギが黄泉の国に住むイザナミを訪ね、一緒に帰ろうと誘いますが、イザナミは黄泉の国の神と相談するため、その間私の姿を見ないでほしいと言います。しかし、イザナギはイザナミがなかなか戻ってこないため、家の中を覗いてしまいます。そこで、ゾンビのような悲惨な姿になっているイザナミを見てしまいます。

イザナミは自分の醜い姿を見られたことで怒り、イザナギを追いかける悪霊たちと共に追いかけます。イザナギは黄泉の国と地上の境目である黄泉平坂を大きな岩で塞ぎます。イザナミは怒って、毎日2000人ずつ人間を殺すと言い、イザナギはそれに対抗して毎日2500人を産むと言います。これは人間の生死の由来を表していると言われています。

その後黄泉の国から帰ったイザナギは、汚れを払うために水で身を清めます。その際にもさまざまな神様が誕生し、最後に左目からは天照大神、右目からは月読命、そして鼻からは須佐之男が生まれます。イザナギは最後に素晴らしい三柱の神々が誕生したことを喜びます。

そして、天照大神に神の国である高天原を、月読命に夜の国を、須佐之男には海の支配を任せます。これがいわゆる三貴神の誕生です。それでは、今度は正統竹内文書の国生みと神生みについてお話ししましょう。

正統竹内文書では、まさに日本がユーラシア大陸から分離するタイミングで、イザナギとイザナミが地球に降り立ちます。その場所は岐阜県の飛騨の国の位山です。正統竹内文書では神の名前は役職名であり、代々受け継がれるものです。つまり、イザナギとイザナミは何百年も生きているように見えますが、実際には代替わりしているのです。

この後に登場するアマテラスなどの神々も、基本的に同じだと考えられます。青正統竹内文書によれば、イザナギやイザナミを含めた神々は、その魂を人間の肉体を介して地上に降り、オリオンの三つ星や北極星、プレアデス星団のいずれかから来たとされています。つまり、彼らの中身は宇宙人であるということですね。

当初、世界の中心は日本にありました。そして、イザナギという帝と皇后イザナミの下で地球が発展していくことになります。ある代のイザナギとイザナミには16人の皇子皇女がおり、彼らはそれぞれ16の氏を束ねる存在でした。イザナギは、まだ不安定な世界を統治するために、この16の氏族を世界の16方位に向けて派遣しました。

王子たちに手渡されたのが、16菊花紋や太陽紋と呼ばれる紋章です。これは現在も日本の皇室の紋章になっており、シュメールの壁画やバビロンのヘロデモン、ノートルダム寺院やエジプトの遺跡にも見られます。王子たちは世界中で言語や文化を伝えていきました。

時代が経つと、この16の氏族は再び日本に戻ってくることが決められていました。これは、竹内家に伝わる紋章の「四つ割菊に葉付き菊」が示しています。この図は、菊の花びらが外に広がると同時に内側にも戻ってくることを示唆しています。つまり、この紋章は、世界に散った種族がやがて戻ってくることを示しているのです。このように、正統竹内文書は日本の古代神話や文化に深い関わりがあることが分かります。

彼らが新たに持ち帰った技術や知識によって、日本の縄文文明はさらに栄えました。そして、農耕が日本から世界に広がりました。しかし、その後世界中で天変地異が発生し、日本は島国のため、洪水などの影響を受け、住むのが厳しい状況になりました。そこで、日本に残る氏族と他の地域へ移った種族に分かれました。

日本の外へ移住した中には、シルクロードを通ってモンゴル高原で月子国を作ったツクヨミの種族がいました。さらに、そこから枝分かれした氏族がインドへ進んで大月子国が誕生し、この国は後にクシャーナ朝と呼ばれるインドの古代王朝になります。何代か後の子孫にゴータマ・ブッタいわゆるお釈迦様もいました。

また、ツクヨミの種族はさらに西に移動してエジプトやエチオピアに至ると男子は大工や石膏職人女子は、機織りとして活躍した実はピラミッドを建設したのはこのツクヨミの氏族だと言われています。

ピラミッドを作ったエジプトの王はミケイリヌスという名前だったそして古代出雲大社や日本中の山にピラミッドを作ったのも三毛野命(ミケイリノノミコト)だそうです。三毛野命は後の神武天皇の兄の一人でもあります。

一方で、別ルートで中近東にたどり着いた氏族がスメル族となりシュメール文明を作りました。このスメル族がスメラミコトと呼ばれる天皇の語源になりました。シュメール文明では、祭祀を司る祭司王と武力を司る統治王の二人で国を治めたと言われています。

そしてシュメールにいたのが再使用でこれがアマテラスの種族だった一方統治王がいた国の首都はスサという名前だったスサの王だから統治王の名前はスサノオとなった。

古事記でもスサノオは強い力を持ち海を統括する権限を得ていました。だからスサノオの一族は武力と航海技術で世界中に都市を作って回っていました。

祭祀王と統治王の2人で国を治めていたんだがやがてこの関係は崩壊していきます。

祭司王と統治王の関係が崩れ、互いに戦うようになりました。そして、彼らは再び日本に戻りましたが、それぞれ別のルートで帰国しました。スサの王の種族は陸路でモンゴルや朝鮮半島を通り、出雲にたどり着きました。アマテラスの種族は海路でインドやインドネシア、沖縄を経由し、九州の高千穂に落ち着きました。ツクヨミの種族も一部が同時期に日本に戻りました。

ツクヨミの種族たちが作った月氏国は謎の豪族秦氏の祖先とも言われています。渡来人であ秦氏はツクヨミの種族だと正統竹内文書では伝えています。

イザナギは、戻ってきたこれら三つの氏族を中心に日本をまとめることにしました。古事記での三貴子の誕生は、正統竹内文書では、海外に行った三つの種族が再び日本列島に戻ってきたことを意味していると考えられます。

今回は古事記と正統竹内文書のストーリーを比較してみました。どちらの物語も興味深い点が多く、日本古来の歴史と神話についてもっと知りたくなるでしょう。

この2つの種族は、しばらくは共同で国を治めていたのですが、やがて関係が崩壊し、互いに争うようになってしまいました。そして、彼らは再び日本に戻ってきましたが、それぞれ別のルートで戻ることになりました。スサの王の種族は陸路でモンゴル、朝鮮半島を通って出雲にたどり着きました。アマテラスの種族は、海路でインド、インドネシア、沖縄を通り、九州の高地に落ち着きました。ツクヨミの種族の一部も同じ時期に日本に戻ってきました。

イザナギは、戻ってきたこの3種族を中心に日本をまとめることにしました。古事記での三柱の渦の巫女の誕生は、青棟竹の内文庶では、海外に行った3つの種族が、再び日本列島に戻ってきたということを意味していますというわけです。

今回は、古事記と正統竹内文書のストーリーを比較してみました。それぞれの物語が異なる経緯を辿ってきたものの、同じポイントに至る部分もあることがわかりました。これからも、さまざまな視点から歴史を学んでいきたいと思います。

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