正統竹内文書を古事記と徹底比較して内容をわかりやすく解説(後編)

ついに、古事記と正統竹内文書の比較がクライマックスを迎えます。特に、今回の後半には驚くべき展開が待っているので、ぜひ最後までお楽しみください。前回の内容とのつながりも多くございますので、まだご覧になっていない方は、先に前回の記事をご視聴いただくことをお勧めします。それでは、引き続き古事記と正統竹内文書を比較し、どちらが真の日本の歴史かを徹底的に検証してまいります。どうぞ、お楽しみいただきながらお付き合いくださいませ。

国譲り

古事記の国譲り

それでは、古事記のストーリーを解説していきますね。オオクニヌシが国を作り上げるために奔走した結果、地上世界は繁栄しました。しかし、これを目の当たりにしたアマテラスは、地上世界を支配すべきは自分の子供だと主張しました。

最初は、スサノオとアマテラスの誓約の際に誕生した五柱の男神の長男である天忍穂耳尊命(オシホミミ)に地上に降りるように言いましたが、彼は「地上が騒がしくて手に負えない」と言って拒否しました。そこで、天照大神は造化の三神の一人である高御産巣日神(タカミムスビカミ)と相談し、次男の天之菩卑能命(アメノホヒ)を地上に送りました。しかし、彼はオオクニヌシの家来になってしまい、3年経っても戻りませんでした。

仕方がないので、今度はアメノワカヒコを送りましたが、彼はオオクニヌシの娘である下光比売命(シタテルヒメ)と結婚し、さらには地上世界を乗っ取ろうと黙って計画し、8年も戻りませんでした。そこで天照大神はキジの神を送って、アメノワカヒコに戻ってこない理由を尋ねさせました。しかし、彼はそのキジを矢で射抜いてしまいました。

その時使われた弓矢は、タカミムスビから与えられた神具で、射抜かれた矢はそのまま高天原まで飛んでいきました。タカミムスビ神は矢を手にし、アメノワカヒコに邪心があるならばこの矢が当たるようにと祈りを込めて下界に落としました。すると、その矢は寝ていたアメノワカヒコの胸に刺さり、彼は息絶えました。

彼の妻であるシタテルヒメが悲しみにくれて泣いていると、アメノワカヒコの両親も下界に降りてきて、彼を弔うための葬儀を執り行いました。その際、シタテルヒメの兄であるアヂスキタカヒコネが弔いに訪れました。実は彼はアメノワカヒコにそっくりで、アメノワカヒコの両親は息子が生きていると喜んで抱きついてしまいました。

しかし、その時代、死は穢れとされていたため、死者と間違われることは大変な侮辱でした。そのため、アジスキタカヒコネは激怒し、剣で喪屋を切って蹴り飛ばしました。そして、彼の行方はわからなくなってしまいました。たしかに、暴力的な行動は過剰でしたが、彼の気持ちも理解できますね。神話にはこうした暴れん坊の神様が多いですね。それがまた面白さの一つだと思います。

話は戻って、交渉で地上世界を奪おうとする目論みがことごとく失敗したから アマテラスは最後にバリバリの武闘派だった、 武御雷(タケミカズチ)を地上に派遣するします。タケミカズチは、神生みの最後、 イザナミの死因になった火の家具土の神を イザナギが斬り捨てた時にその血から生まれた神で、 雷や剣の神、つまり武の神です。つまりは実力行使に移行したということです。

タケミカズチは、天鳥船神(アメノトリフネ)という、 神が乗る船でもある神と一緒に地上に降りるの そして、オオクニヌシに国を明け渡すように迫まります。オオクニヌシは自分で答えを出すのではなくて、 タケミカズチに自分の息子に交渉するように言います。

そこで、タケミカズチは、 長男の事代主神(コトシロヌシ)のところに交渉に行きます。 コトシロヌシは表面的には和平派だったから 恐れ多いことですと言って、 あっさり明け渡しに合意します。

ただ、その後、『船をひっくり返し、 逆手を打って船の上に青紫垣を作って、 その中に隠れた』と書かれています。『 逆手を打つ』っていうのは、 手の甲同士で拍手することです。 これは、人を呪うときや 供児のときに使うものなのです。

だとしたら、本心では納得していなかったのかもしれません。 次に、タケミカズチはコトシロヌシの弟である、 建御名方神(タケミナカタ)のところに行きます。 タケミナカタは兄と違って武闘派だったから、 徹底交戦をしようとして力比べを提案します。

だが、残念ながらタケミカズチには全然かなわなくて、 為す術はなくやられます。 そして、今の長野にあたる諏訪にまで追い詰められます。 最後には、命だけはお助けをって感じで謝って、 諏訪から一生出ないことを約束して許されます。 ずいぶんなさけないやられ方ですが、タケミナカタは 諏訪大社の主祭神にもなっています。

あと、この二人の戦いが 相撲の起源とも言われています。息子二人が降参したことで、 オオクニヌシも地上世界を明け渡すことに同意します。 ただ、その交換条件として、 天の神が住むのと同じくらい 大きな宮殿を建てるよう要求します。 これが出雲大社の由来です。こうして、葦原中国はアマテラスのものになりました。

正統竹内文書の国譲り

それでは、これまでの古事記のお話に、正統竹内文書の解説や解釈を加えていきたいと思います。前回の記事では、スサノオを率いる出雲族が、アマテラスを統率する日向族を支配下に置いていました。そして、このスサノオは非常に兄弟でしたね。

しかしここで重要なポイントなのですが、正統竹内文書では、スサノオもアマテラスも役職名であり世襲制でした。つまり、たとえスサノオが強力でも、いずれ彼は亡くなる運命にあるわけです。そして、その非常に強力なスサノオが消えた時に、アマテラス側に反撃のチャンスが訪れたのです。

それによって、今度は日向族が権力を握ろうと企図するのです。ここで古事記では、最初にアマテラスが地上にオシホミミを派遣しようとしています。しかし、前回説明した通り、オシホミミはアマテラスの子供ではなく、夫だったのですね。そして、スサノオ率いる出雲族との戦争によって戦死していました。そのため、オシホミミを派遣することはできなかったわけです。

そこで、次男のアメノホヒやアメノワカヒコが派遣されますが、結果は古事記と同様です。彼らはオオクニヌシから非常に手厚い待遇を受けていたでしょう。その後、タケミカズチが派遣されます。タケミカズチが出雲族に、国を明け渡すように迫ると、出雲族の指導者は子供に意見を求めるのです。本来であれば、オオクニヌシがトップであるため、子供に聞く必要はないのですが、これはオオクニヌシが外国から来た人間であり、実権を持っていたのは正当な後継者である妻のスセリビメとその息子たちだったからでしょう。

ところで、すこし話が本筋から外れますが、タケミカヅチと一緒に地上に降りた天鳥船神(アメノトリフネ)は、名前から想像して、空を飛ぶ船、つまりUFOだとする説があります。しかし、正統竹内文書では、『これは船のような形状のものに神が降りたことを示している』と言われています。UFOに乗って地球外生命体が降りてきたわけではなくて、意識体として降りてきたものだということですね

。イザナギとイザナミも、その魂が人間をよりどころとして地上に降り立っていたと言われています。それと同じことがおきたようです。神話の『船であり、また神でもある』という説明も、それだとイメージに近いと言えるかもしれません。

それから、出雲大社についてですが、現存する資料から算定すると、高さ48メートルもある立派な巨大建築で、東大寺の大仏殿よりも大きかったとも言われています。だとしたら、東大寺も非常に大きいですから、当時としては想像を絶する大きさだったのかもしれませんね。

それに、出雲大社の構造は、ピラミッドの内部とほぼ同じ作りだとも言われています。古事記と正統竹内文書比較の以前の記事では、ピラミッドを作ったのも日本人だと紹介しましたね。ミケイリノカミが関係していると言われています。ピラミッドを作ったエジプトの王はミケイリヌスで、日本の建築担当の名称がミケイリノカミだったからです。

また、古事記で死人と間違われて怒ったアヂスキタカネヒコについては、後ほど話しましょう。どうやら、何か意味があるようですね。

天孫降臨

古事記の天孫降臨

さて、それでは次に天孫降臨のストーリーに入りましょう。天孫降臨とは、古事記において、アマテラスが地上世界を明け渡してくれたオオクニヌシに感謝し、最初に息子のオシホミミを派遣しようとしたのです。しかし、オシホミミは子供が生まれたばかりで、代わりにその子供を派遣してほしいと願いました。そこでアマテラスの孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が、三種の神器を託されて高千穂に降り立ちました。これが『天孫降臨』です。

その後、ニニギは美しい女性・木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)と結婚し、二人の息子である山幸彦と海幸彦が生まれました。これらの二人は有名なおとぎ話として語り継がれています。その後、山幸彦は海の神である綿津見神(ワタツミノカミ)の娘・豊玉毘売(トヨタマヒメ)と結婚し、鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)が生まれました。しかし、トヨタマヒメは様々な事情で実家に戻り、代わりに妹の玉依毘売(タマヨリビメ)がウガヤフキアエズを育てました。

ウガヤフキアエズが成長すると、育ての親であるタマヨリビメと結婚し、4人の子供が誕生しました。その末子が後に神武天皇となります。とうとう神武天皇に辿り着きましたね。

正統竹内文書の天孫降臨

では、天孫降臨について正統竹内文書の解釈を説明しましょう。以前の記事で、アマテラス側の景図が古事記とは異なるとお話しました。古事記では、アマテラスとスサノオ誓約のが5柱の男神を生んでいます。オシホミミからクマノムスビまではそれぞれ子供と記されてますが正統竹内文書ではオシホミミがアマテラスの夫で、残りは二人の子供とされています。さらに、ニニギの子孫として描かれる子供たちも、この5柱の男神でもあります。

この系図によると、長男のアメノホヒはそのままで、次男のアマツヒコはニニギのことです。ニニギには天津日高日子番能邇邇芸命(アメツヒコホノニニギノミコト)という別名があります。三男の活津日子根命(イクツヒコネ)はオオリつまり山幸彦です。そして四男の熊野久須毘命(クマノクスビ)はウガヤフキアエズです。古事記の系図では、ニニギから神武天皇に至るまで100年以上あるのですが、これが一代になると、時代の流れは大きく異なります。

そのため、国譲りの話と重なりますが、オシホミミが戦死したため、息子のニニギが地上に降りることになりました。しかしこの「地上に降りる」というのは、アマテラスやツクヨミ、スサノオのように、他国から日本に戻ってきたことを指していると、正統竹内文書では解釈されています。つまり、ニニギも外国から日本に戻ってきたというわけです。

ニニギが三種の神器を持って地上に降り立ったことは、海軍の拠点を日向の里に置いたことを意味しています。そして、四南の熊野久須毘命がウガヤフキアエズと言いましたが、熊野という名前は出雲系、つまりスサノオ系の名前だったのです。彼は南海道の海流を行き来した海の一族の長であり、現代に当てはめると、海軍大臣や連合艦隊司令長官の役割を果たしていたといわれています。

その当時、日向族がまず平定しなければならなかったのは、九州にいる熊襲でした。ウガヤフキアエズは、その熊襲との戦いの最前線にいたということです。そして、ウガヤフキアエズの妻・タマヨリビメは、ワタツミの娘でした。このワタツミは、神話では海の神ですが、実際は琉球の王だったと言われています。彼は台湾を含む広い領土の支配権を握っていました。

その娘と結婚することで、広い海の実権をも手に入れることができたわけです。正統竹内文書の説明は、現実的だから納得できるものがありますね。

天孫降臨の説明はざっくりここまでにして次にラストの神武東征に入ります。

神武東征

古事記の神武東征

始めに、古事記に登場する神様であるニニギが、九州の高千穂に降臨し、そこを拠点としていました。時代が進み、権力を拡大したウガヤフキアエズの5人の息子たちは、日本全体を統治するために、大和の地を手に入れるべく遠征を開始します。これが、いわゆる「神武東征」です。

遠征の途中で、次男のイナヒコと三男のミケイリノが暴風によって亡くなります。そして、長男のイツセと四男のイワレビコ後の神武天皇の2人だけが、大和の地に到着します。その頃、大和を治めていたのは、強力な豪族である那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)でした。

しかし、イツセはナガスネヒコの矢によって敗北します。彼は、自分たちが太陽の神・アマテラスの子孫でありながら、太陽のある東に向かって戦ったことが敗因だと気づきます。そこで、彼は南の熊野へと回り込む作戦を立てますが、その途中でナガスネヒコによる負傷が原因で亡くなります。

残されたイワレビコは兄の仇を討つために進軍を続けます。熊野に到着した際、森の中から一瞬だけ熊が現れ、消えてしまいます。しかし、それによってイワレビコも兵士たちその熊が出した毒気か何かで気を失ってしまいます。そこに高倉下(たかくらじ)という人物が現れ、霊剣を献上すると、一行は意識を回復します。この剣は、天の神から贈られたものだったのです。

進軍を再開した一行は、ある森で道に迷ってしまいます。そこでタカムスビノカミが、三本足のカラスを遣わします。これがかの有名なヤタカラスです。ヤダカラスは、サッカー日本代表のエンブレムにもなっていることで有名ですね。

ヤタガラスはイワレビコたちの道案内をし、進軍先にいる地元の民たちとの交渉も行い、多大な功績を挙げます。この物語を通して、ヤタガラスはまさに導きの神として語り継がれているのです。

そうですね。ちなみに、古事記や日本書紀には三本足と書かれていなません。話を戻しまして、その後もイワレビコは土着の土蜘蛛などを討伐しながら、大和の地へ進んでいきます。そしてついにナガスネヒコと宿命の対決を果たすのですが、ナガスネヒコを討伐したシーンは描かれておらず、ナガスネヒコの妹の夫である邇芸速日命(ニギハヤヒ)がイワレビコが天の神の子孫であることを知った後、イワレビコに贈り物を捧げて仕えることになります。

そんなわけで、大和の地を手に入れたイワレビコは、初代の天皇である神武天皇として即位されたということです。これで古事記における神武東征の話は終わりとなります。ざっと流れを相関図にすると、こんな感じでしょうか。次に正統竹内文書の話に移ります。

正統竹内文書の神武東征

正統竹内文書によれば、ここのストーリーはだいぶ違っています。登場人物が多くて混乱するかもしれませんので、ところどころ図解も入れます。

まず、アマテラスが率いる日向族は、最初にニニギ、ホデミ、ウガヤフキアエズの3人が統治していました。そして、九州の土着民である熊襲と戦い、九州地方を平定した後、大和の地へ進出することにしました。ウガヤフキアエズとその妻・タマヨリビメとの間には、4人の子供がいました。この中で、長男のイツセが統治王で、次男のミケイリノが祭祀王でした。

古事記では、イナヒコとミケイリノが遠征中、暴風に遭って亡くなったことになっていますが、正統竹内文書によると、イナヒコは大陸に渡って新羅の祖王となったと言われています。そして、ミケイリノは祭祀王であったため、大和の地へ進軍したのは、もともとイツセとサノノミコトの2名だけでした。

それから古事記では、カムイワレビコノミコの名前は、四男のサノノミコトの別名とされていますが、正統竹内文書では王の地位を表すものとされています。日向族は長子が相続権を持っていたので、最初は長男のイツセがイワレビコと呼ばれていました。しかし、ヤマトへ進軍している間にイツセが亡くなったため、四男のサノノミコがイワレビコを継承しました。

正統竹内文書では、神の名前が役職名というのがポイントです。そこで、ここからはサノノミコのことをイワレビコと呼びます。

そして、ここから意外なストーリーが展開します。このストーリーでは、ヤマトを支配していた王はナガスネヒコではなかったのです。実は、ヤマトの地を支配していたのは、オオモノヌシでした。オオモノヌシは、スサノオの息子であるオオトシ、そしてニギハヤヒという名前でもありました。

古事記の最後に登場したニギハヤヒは実はオオモノヌシでした。この後はニギハヤヒという名前で統一します。

ニギハヤヒはヤマタノオロチ退治で活躍し、五つの川のリーダーたちをまとめる巫女王・沼河姫とスサノオの間の子供だと思われます。神武東征が始めるずっと前、ニギハヤヒは父のスサノオと喧嘩して、出雲を捨てて大和に来ました。彼の持つ大船団とその軍事力は圧倒的だったので、大和を支配していたナガスネヒコを制圧し、配下に置きました。

また、ニギハヤヒはナガスネヒコの妹、トミヒメと結婚して大和の王になりました。そして、「アマテラスクニテラスヒコアマノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト」という名前を名乗りました。このアマテラスクニテラスヒコ」名前は、国を統べる王の名前を意味しています。またアマテラスは「天照」ではなく、「海照」の意味もあります。以前の記事では古事記でオオモノヌシが眩いばかりの光とともに現れたのは、海の支配者であることを示すとともに、彼の持つ大船団のことも示しているようです。

アマテラス陣営の話に戻りましょう。イワレビコたちが大和に到着したとき、ニギハヤヒは既に高齢で病床についていました。長男のイツセは大和側を武力で制圧するのではなく、弟のサノノミコトとニギハヤヒの妹との政略結婚を考えていました。しかし、ニギハヤヒの配下であるナガスネヒコに追い返され、イツセはナガスネヒコの矢に倒れました。残されたイワレビコは南へ迂回し、反撃の機会を窺っていました。

道中で、古事記に登場し熊の妖気から一行を救ったタカクラジが出てきます。。実は彼はニギハヤヒの子でウマシマジなのです。ナガスネヒコとは違い、日向族との融和を望んでいたので国を裏切ったともとれるような行動をします。また、イワレビコをサポートしたヤタガラスも重要な登場人物です正統竹内文書では、ヤタガラスは鳥ではなくアヂスキタカヒコネだとされています。

アヂスキタカネヒコは、死人と間違われて怒ったオオクニヌシの息子でした。アヂスキタカヒコネはイワレビコ側に付き、大和の征服をサポートしました。古事記ではヤタガラスは建角身命(タケツノミ)の化身だとされていますが、正統竹内文書ではタケツノミの正体はアヂスキタカヒコネであるとされています。

どうしてここで突然、アヂスキタカネヒコが出てるかについて詳しく言及されていません。しかし、正統竹内文書の継承者竹内睦泰氏が残した本の系図にだけ残された情報があります。

それは、タケツノミ=ヤダカラスは、タマヨリビメと結婚しているという情報です。

タマヨリビメはウガヤフキアエズの妻で神武天皇の母親でしたが、なぜか系図では彼女のもう一人の夫としてアジスキタカヒコネが描かれています。 もしこれが本当だとすると、イワレビコ(神武天皇)にとってアジスキタカヒコネは叔父のような存在となり、彼の手助けをするのも自然でしょう。

ニギハヤヒが亡くなったのを受け、彼女の息子タカクラジとオオクニヌシの息子アヂスキタカヒコネは日向族側につきました。最後に残されたナガスネビコは徹底抗戦しましたが、倒されてしまいます。ただし、正統竹内文書ではナガスネビコは倒されず東北に逃れたとされています。青森にある日本中央と彫られた石碑は、彼が日本の将軍であると主張した名残だとされいます。ナガスネビコは最後までプライドを失いませんでした。

こうして正統竹内文書でもイワレビコが大和を獲り、神武天皇に即位します。

神武天皇として即位したイワレビコのストーリーはこうして終わります。登場人物はほぼ同じですが、古事記と正統竹内文書では様相が変わります。しかし、それによってあいまいだった部分が明確になったことも事実です。

最後に

というわけで全2回にわたって古事記と正統竹内文書のストーリーを徹底比較しました。最後の方は登場人物が多くてちょっと混乱しましたがラストのストーリーは圧巻でしたね。知的好奇心がくすぐられます。ただし正統竹内文書が必ずしも正しい日本の歴史かどうかは分からないので日本神話の一つの解釈として楽しんでもらえれば嬉しいです。

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