竹内文書が明らかにした日本のピラミッド。

竹内文書

竹内巨麿と酒井勝軍がピラミッドを調査

竹内文書によると、ピラミッドの起源は日本の広島であり、そこには約2万2300年前に弥広殿作尊天皇が建てたピラミッドが存在すると主張されています。この文書に基づき、オカルト研究家の酒井勝軍氏は葦嶽山ピラミッドを発見しました。竹内文書にはこの他にも多くのピラミッドが記録されています。

酒井氏はさらに、竹内氏と共に調査を行い、青森県新郷村にある十和利山ピラミッドと大石神ピラミッドを発見しました。これらは葦嶽山ピラミッドに続く日本のピラミッドとされています。

十和利山大石神ピラミッドとキリストの墓

彼らの調査によると、本殿は十和利山ピラミッドで、十和利山を見ることができる山間部には大石神ピラミッドが存在します。大石神ピラミッドは約5万年前に作られたと推定されています。これは非常に古いものと言えます。

かつて十和利山ピラミッドの頂上には祠が存在していたと伝えられていますが、現在ではその姿を見ることはできません。大石神ピラミッドからは太陽石を含む巨大な石が発見され、その事実に人々は興奮していました。

さらに、竹内という人物が驚くべき主張を展開しました。彼は、十和利山ピラミッドと大石神ピラミッドのある新郷村にイエス・キリストの墓が存在すると述べました。この墓は「十来塚」と呼ばれ、村を見晴らすことができる小高い丘の上に位置しています。しかし、キリストは伝統的にゴルゴダの丘で処刑されたとされています。

竹内は、処刑されたのはキリストの弟イスキリであり、本当のキリストは青森に逃れてその生涯を終えたと主張しました。実際、新郷村にはキリスト教に関連するものが多く存在しています。

村の名前「戸来」(ヘライ)は古代イスラエル人を意味する「ヘブライ」から取られたとも言われています。そして、十来塚を所有していた沢口家の家紋は六芒星と同じでした。沢口家には「十来塚は偉大な人物のお墓だから守るべき」との伝承があり、彼らは代々十来塚を大切に管理してきました。

また、村では子供を初めて外に出す時に額に十字を書くという奇妙な風習があります。これらの事情から新郷村とキリストとの間には密接な関係があるとされ、十来塚がキリストの墓であるという説が広まっていったのです。

現在の新郷村には、「キリストの里伝承館」という施設が存在します。ここでは、十来塚とキリストの関係について詳しく展示しています。

岩手県の五葉山ピラミッド

酒井氏は、伝説の金属であるヒヒイロカネを見つけるために、岩手県釜石市の西に位置する標高約1350mの五葉山を訪れました。五葉山は、竹内文書にてムー大陸が沈没した際に日本に移住してきたムーの人々が住んだと記されています。それらの人々は五葉山をピラミッドの形に変え、地元で採れる磁鉄鉱を使ってヒヒイロカネを作り出したとされています。そして酒井氏は、そのヒヒイロカネを発見したのです。

1938年5月22日、酒井氏は五葉山付近でヒヒイロカネを発見したとされています。しかし、そのヒヒイロカネが軍部によって破壊されることを恐れた彼は、それをどこかに隠してしまったといいます。そのため、酒井氏が本当にヒヒイロカネを発見したのか、そしてヒヒイロカネがこの世界に存在するのかどうかという謎は、永遠の闇に葬られてしまったのです。それは非常に残念なことです。

さらに、酒井氏は五葉山の山頂から巨大な石組みを発掘したとも言われています。この石組みが人工的に作られたものであったことから、竹内文書に記されていた五葉山がピラミッドであるという説が信憑性を持つようになったのです。

1980年代は、ピラミッド発見のブームで、日本全国から新たなピラミッドが次々と見つかりました。これまでに紹介したピラミッド以外にも、青森県のモヤ山ピラミッド、福島県の千貫森ピラミッド、長野県の皆神山ピラミッド、富山県の尖山ピラミッド、愛知県の東谷山ピラミッド、奈良県の三輪山ピラミッドなどが発見されています。

ピラミッドといえばエジプトや中南米のものが有名ですが、オカルト研究家たちは日本にもピラミッドが存在すると主張しています。この説を初めて提唱したのは昭和初期の宗教家、竹内巨麿と酒井勝軍です。

彼らは竹内文書を基に調査を進め、日本のピラミッドを発見しました。特に彼らは、広島県の葦嶽山が世界最古のピラミッドだと主張しています。

竹内文書は学術的な調査により、竹内自身によって作成されたことが明らかになっています。この文書に書かれた内容、例えば数々の聖人たちが日本を訪れて天皇に仕えたという事実や、ムー大陸の人々が日本に来たという記述は、信じがたいものです。

一方で、秋田県の黒又山は科学的な調査により、自然ではなく人間によって作られたものであることが判明しています。つまり、古代日本でピラミッドのような建造物が作られていたということが確かと言えそうです。祈りを捧げるために小高い建物を作るというのは、人類にとって普遍的な行動だったのかもしれません。

これからの調査で、エジプトや中南米から遥か遠く離れた日本にピラミッドが存在する理由という謎が解けることを期待しています。

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